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はじめに
2回ほど15年前と現代の写真が続きましたが、また本来の25年前(このところ32年前が続きますが)に戻します。思い出とは不思議なもので、小学校で行ったみくまり峡は全然記憶にないのに、工場見学で行った東洋工業(いまのマツダ)はよく覚えています。
当時はバタンコと言われた3輪自動車を作っており、小さな丸い金属を何トンもする大きなハンマー状の物を10mほど上から落としものすごい音がして押しつぶしていたり、案内人が組立てのところで「当社は20分に1台のスピードで製品を作っています。」と誇らしげに語っていたのをはっきり覚えています。
またキリンビールの工場では、網で覆われたラインを女子工員さんが全員ネットをすっぽりかぶり働いていましたが途中で2本、ビール壜がバーンと破裂したのも忘れることができません。それに反して、毎年遠足でいろいろな所へ行ったでしょうが、何一つ覚えてないのはどういうことでしょうか。
ただ、場所はどこだったは忘れましたが、遠足の弁当の時、ゆで卵があったので私がいらないと言ったら、「いらないのなら、先生にちょうだい。」といわれて、さしあげたという妙なことは記憶にあります。
昭和25、6年のころは卵は多分、貴重品だったのかも。
(平成25年7月11日) |
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